旧市街地に向かう道。ムスリムの人が多く住む側の道を歩く。そこら中の建物に銃弾跡。無数にある。大破したままの建物も、、、。
人前でカメラを向けるのに、ためらう。
1992年から1995年まで続いた ボスニア•ヘルツェゴビナ戦争で、1993年この橋は破壊された。wikipediaなどに記載されているのを見ると、意図的に、この付近の街とともに破壊されている。
この橋が再建築されたのは、2004年7月23日。今から13年前の事。本当につい最近である。
戦後9年の月日が経って再建された橋ではあるが、この橋の両側に残る破壊された建物や、銃弾跡が残るホテルや住居。
軍事施設ではなく、一般家庭の窓付近に無数の穴がある。
町には新しいお墓がたくさんあり、1993年に亡くなった方々が非常に多かった。
お墓の写真は、遺族の方々に申し訳ないと思いましたが、1人でも伝えられたらと載せることにしました。
ここに住む人たちは、どんな思いで暮らしてるのか。
今も、山の中には撤去されていない地雷が残る。回収しきれていない爆弾や銃もあるという。
夜の散歩を終えて、部屋に戻る.....タイヤがパンクしたのか、音がなった。思わず、びくっとした。しばらくしてから、電気を消して、外を見たが、みんな変わらずカフェにいたり、歩いていた。
私は、ネパールの極西部でボランティアをしていた当時、ネパールは王様が殺され情勢不安になり始めていた。
私は、直接的な危険はなかったが、住んでいる地域には、夜の7時から翌朝6時までの外出禁止令が数日だけだったが出されていた。一度だけ、夜中に威嚇空砲を聞いた事があった。2km先の市役所の一部が壊された。その後、しばらく夜間の外出を控えた日が続いた。その地域での生活は、その後、約1年続くが、夜間の外出を自主的に控えた以外は安全に過ごす事ができた。
モスタルを訪れ、銃弾跡を見て、その経験をはるかに上回る恐怖を感じざるを得ない。私でさえ、感じてしまうのだから、体験した人たちは、、、、。
ここで出逢う人たちは、本当に優しい。しかし、橋を境に(正確には、ボスニアで勤務していた友人が教えてくれたように、一本の道を超えてから)雰囲気や売っているものも変わる。
ここに住んでいる人は、橋を見て何を思い、日々何を感じて、暮らしているのか、、、、。
私には、とてもはかりきれない。想像する事もできないのかもしれない。
ただ、、、、テレビで見た映像、話は、現実にあったという事や、現地にきて、見て、空気を感じてこそ、知る事ができる事があるということを実感する事はできた。無関心のままでは、この事実も知らないままである。
知る事。関心を持つこと。これが、私たちのできる世界平和への第一歩なんじゃないかと思う。
改めて、この旅を続けられる環境に感謝したい。ありがとうございます。