SALAJEVO サラエボ

回線が弱く、更新がうまくいかない。

 

7月26日。昨日はhotel holidayに泊。

金額的に一泊のみ。泊まった理由はまた後で。とても快適に過ごしている。

 

今、私はテンションが上がりまくっている。

 

朝食会場で、バスケットボール、男子ボスニアチーム、女子モンテネグロチームのU18だと思うが、一緒になった!しかも、部屋に戻る時、モンテネグロスタッフの人とエレベーターで一緒に。運命や!

 

今日、試合があるか訊くと18時からとの事。さあ、見れるのでしょうか!まちろん、盛り上がり過ぎたりしてきたら、場から離れます!

stari most スタリ モスト

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旧市街地に向かう道。ムスリムの人が多く住む側の道を歩く。そこら中の建物に銃弾跡。無数にある。大破したままの建物も、、、。

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人前でカメラを向けるのに、ためらう。

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1992年から1995年まで続いた ボスニアヘルツェゴビナ戦争で、1993年この橋は破壊された。wikipediaなどに記載されているのを見ると、意図的に、この付近の街とともに破壊されている。

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この橋が再建築されたのは、2004年7月23日。今から13年前の事。本当につい最近である。

戦後9年の月日が経って再建された橋ではあるが、この橋の両側に残る破壊された建物や、銃弾跡が残るホテルや住居。

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軍事施設ではなく、一般家庭の窓付近に無数の穴がある。

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町には新しいお墓がたくさんあり、1993年に亡くなった方々が非常に多かった。

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 お墓の写真は、遺族の方々に申し訳ないと思いましたが、1人でも伝えられたらと載せることにしました。

 

ここに住む人たちは、どんな思いで暮らしてるのか。

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今も、山の中には撤去されていない地雷が残る。回収しきれていない爆弾や銃もあるという。

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夜の散歩を終えて、部屋に戻る.....タイヤがパンクしたのか、音がなった。思わず、びくっとした。しばらくしてから、電気を消して、外を見たが、みんな変わらずカフェにいたり、歩いていた。

 

私は、ネパールの極西部でボランティアをしていた当時、ネパールは王様が殺され情勢不安になり始めていた。
私は、直接的な危険はなかったが、住んでいる地域には、夜の7時から翌朝6時までの外出禁止令が数日だけだったが出されていた。一度だけ、夜中に威嚇空砲を聞いた事があった。2km先の市役所の一部が壊された。その後、しばらく夜間の外出を控えた日が続いた。その地域での生活は、その後、約1年続くが、夜間の外出を自主的に控えた以外は安全に過ごす事ができた。

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モスタルを訪れ、銃弾跡を見て、その経験をはるかに上回る恐怖を感じざるを得ない。私でさえ、感じてしまうのだから、体験した人たちは、、、、。

 

ここで出逢う人たちは、本当に優しい。しかし、橋を境に(正確には、ボスニアで勤務していた友人が教えてくれたように、一本の道を超えてから)雰囲気や売っているものも変わる。


ここに住んでいる人は、橋を見て何を思い、日々何を感じて、暮らしているのか、、、、。


私には、とてもはかりきれない。想像する事もできないのかもしれない。

ただ、、、、テレビで見た映像、話は、現実にあったという事や、現地にきて、見て、空気を感じてこそ、知る事ができる事があるということを実感する事はできた。無関心のままでは、この事実も知らないままである。


知る事。関心を持つこと。これが、私たちのできる世界平和への第一歩なんじゃないかと思う。

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改めて、この旅を続けられる環境に感謝したい。ありがとうございます。

 

 

 

そういえば、、、

日本はそろそろ、夏休みシーズンや、、、。

 

この夏が、最後の大会になる人たちもいるな。

 

悔いなきように、全力を尽くしてほしいな。

 

結果を考えてやるのではなく、全力を出す事に集中してほしいな。結果より、そこにどう立ち向かえたかが、大切かなと私は思う。

never give up!

応援してるよ!!

ボスニア•ヘルツェゴビナ

クロアチアや、ボスニアなどのバルカン半島の国々は、ヨーロッパの火薬庫なんて呼ばれている。

 

第一次世界大戦は、ボスニアの領有権を欲するオーストリアセルビア間で始まり、やがては第二次世界大戦へと続いていった。その地が、ここボスニアである。

 

クロアチアは、1991年にユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立した国。

この時も民族対立により沢山の命が失われ、今も地雷が埋まっている場所があるという。

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この山腹にも埋まっているかもしれないという、、、。がれきの跡も、、、。

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ボスニアヘルツェゴビナ共和国は1992年にユーゴスラビアから独立。しかし、

1993年に、ボスニアヘルツェゴビナ紛争が勃発。ボシュニャク人(ムスリム人)、セルビア人(正教徒)、クロアチア人(カトリック)の民族間の紛争があり、そこにアメリカを含むNATO軍が参入し、爆撃が繰り返されていた。私はニュースで見たのを覚えている。民族の紛争とは言え、私にはなかなか理解できない。理解したくても、複雑で誰が正しいとか、そういう次元の話ではない。

ーーーここの地域も、民族や宗教が複雑だし、国によっては見方が違う。言い分も違うし、難しい。

 

スーダンで働く友人の言葉を、今更ながら実感した。

 

今も建物に残る銃弾の跡。

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ボスニアに入り、道端にお墓や墓標が多く見られた。がれきの山もあった。沢山の人が亡くなっているのが、すぐにわかる。住宅の建物にも無数の銃弾の跡。胸がつまる。

 

民族の話は控えた方が良い。と、ガイドブックにもあったので、心に留めておいた。はずだったが、スーパーでつい、やってしまった。

 

その土地の飲み物を。と思い、ボスニアに入って、背丈の低いホップがなっていたことや、ボスニア産も有名ということでビールを購入。裏を見て産地を調べる。サラエボと書いてある。と思い、店員さんに、確認。ボスニア産?と。

も1人の店員さんと、話しながら確認。愛想が悪くなって、クロアチア産。と言われた。思い過ごしかもしれないけど、対応が変わったように感じた。

 

ボスニアで働いていた友人にメールで話したら、民族の話はしない方がいいよ。ビールの件みたいな事も、雰囲気が悪くなるから気をつけて。と。

ああ、やってしまった。反省。何でも疑問を持って、きいてしまう自分を抑えなければ。気をつけよう。相手の立場を考えよう。

 

友人が言うには、モスタルは川を境に民族が分かれているそうだ。宿側はムスリムの人が多く、川の向こうはクロアチア系のカトリックの人が多く住んでるよ。多分、歩くとわかる。と。

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まだ明るい20時頃に散歩に出た。友人の言葉を理解する。川を渡ったら教会から鐘の音が聞こえてきた。鐘の響きが好きだ。確かに雰囲気も違う。ぶらぶらして、川を渡って戻る。

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懐かしいコーランが流れている。私はコーランの音が大好きで、心地が良く感じる。本当だ。見た目は全然わからない。でも、川でしっかりわかれている。

 

ここには、スタリ•モストという世界遺産がある。紛争時に破壊され、再建されたもの。明日はこれを見にいく。何だか、ドキドキしてしまう。楽しみ!の方ではないドキドキ。ただいま、朝の3時。なかなか寝付けない。この理由は、次回にでも。

 

クロアチアからボスニアへ移動。

プラハの後、下書きが何度も消え、

めんどくさがりに輪をかけてしまった、、、。

 

プラハの後、クロアチアへ。

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ザグレブ

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➡︎コレニツァ

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➡︎トロギール。思いもしなかった、超リゾート。

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そして、本日移動。次の国へ到着。

ボスニアヘルツェゴビナモスタル

クロアチアは、また寄ることにしたので、その時に詳しく書きます。

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スプリットという場所で、モスタル行きのバスを探す。チケットゲット。座席もカウンターで確認したのに、乗ったら別の人が座っている。説明してる最中に、乗務員さんが別席空いてるから、そっち座り!って。ノープロブレム!って。

大きな荷物は、バスの下の荷台におけ!ノーイングリッシュ!と言われて、途中で止めて行かされて荷物代も払わされていた外国人もいれば、同じ大きさでも、何も言われない人も。うーむ。よくわからん。

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そうこうしてるうちに、クロアチア出国。車内で、パスポートにスタンプ

お!すんなり、、、さあ、次は入国やな、、、。気にしながらバスに揺られ、モスタル!到着!

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徒歩5分。宿に到着。え!?スタンプ無い!かつて、ボスニアで勤務していた友人にメールできく。旧ユーゴスラビア内は、人の行き来が多いから、ありがちだから、多分大丈夫じゃない?とのこと。

宿の受付の人に訊いても、答えは、

sometime happen.no problem!って。

とりあえず、ロシア方式。移動経路、バスチケットや宿の領収書もらって、自分の滞在記録を証明するものの保管作業をはじめる。

 

久々のちょっと不安な移動だった。

 

 

 

gold prague プラハ

7月9日

ピルゼンを後にして、プラハへ。

バス停に着くと、いた!

ベルリン以来の顏!ハグで迎えてくれる。遅れてお父さん。初対面だが、笑顔で出迎えてくれる。家までは、車で。

ありがたい。

 

夜のプラハ、美しい!!オレンジの街灯がまたいいね!

 

家に着いたら、懐かしいミラがいた!

一瞬しか会ってないのに、嬉しすぎる。

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早速、ピルスナーウルケルのビールを渡す。笑ってくれた!チェコ人だけど、お父さんは飲めないんだ、、、という話から、盛り上がって、場の雰囲気もなごみ、夜遅かったのに、夕飯も用意してくれて、待っててくれた。

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話は夜遅くまではずみ、ミラのお母さん特製、スリボビッツェを頂く。プラム?からつくった蒸留酒?匂いがかなり良い。が、一口飲んだら、喉がかーっとなる。

 

2人は翌日も仕事。

スリボビッツェのおかげでよく眠れたよるだった。

 

pilsenからprague プラハへ。

今、プラハ行きのバス停。

バス待ち。

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昨日まで、泊まっていた宿。

wifiが遅くて、12時間でできたこと。

次の宿一箇所予約。ブログの更新。

携帯を持ちながら、歩き回る。部屋の角の、手を上げた所。hotspot。

 

今いるバス停。

次々くる近距離バスのwifiがとんでて、

かなりつながっている。

不思議や。

 

プラハは、ベルリンの宿で一緒になった親子が、招待してくれたので、行き先にした。

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お土産にpilsenのpilsner ulquelピルスナーウルケルのビールを。

 

ありがとう〜!って、これ、チェコ産やん!って、ツッコミを期待しています。

笑ってくれるかなあ。

 

いや、きっと大丈夫。

世界地図を息子さんに見せて、日本から、ベルリンまで歩いて来たんだよ。という冗談でつながった縁や!

いけるはず!うん!